無題(多様性について)

以前、「自分が一緒にいて居心地がいいと思える人は、大抵、相手は居心地悪く感じている」という文章を読んだことがある。その時は、ちょっとビクッとしたものだ。そうか、相手が合わせてくれているからこそ、居心地よく感じちゃうのか。

もちろん、そんな関係性ばかりではない。一緒にいてお互いに居心地よく感じられる人も沢山いるはず。はず。

2010年くらいからかなあ。多様性という言葉が身近に聞こえ始めた。その頃の私の頭は今にもましてボンヤリしており、はあ?そんなん当たり前じゃない?くらいにしか受け止めていなかった。

最初は生物多様性についての言葉だったけれど、いつしか人間同士の関係にも使われだした。人種、ジェンダー、障がい、価値観から好みまで、多様性を認めようよ、という流れだ。それについても、はあ、当たり前だよね、という認識であった。何をいまさら。

けれども最近、「多様性を認める」というのは、そんなに簡単なことではなかったのかも知れない、と思い始めている。

分かり合えないことは、居心地が悪い。マイノリティは特にそれを日々感じている。その居心地の悪さをみんなで受け持つことが、結局は多様性を認めるってことだったのかもしれない。

あーわたし、楽してたかも。理解しているつもりでも、なんも受け持ってこなかったかも。やっぱり居心地の良さに乗っかっていたかも。

そんなことをふと思う、54才、沖縄の夏であった。

ハチロックス!

ミツバチの振動に出合った。 飛び交う蜂たちも全く気にならない。その振動の中で私も浮遊する何かになる。 ずっとやってみたかったんだ。養蜂。 耳鳴りがするほどのロックをライブハウスで聴くのが大好きだけれど、今はそれもままならぬ。 代わりにやってきた蜂の振動の記録を、これから綴っていきたいと思う。

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