無題(多様性について)
以前、「自分が一緒にいて居心地がいいと思える人は、大抵、相手は居心地悪く感じている」という文章を読んだことがある。その時は、ちょっとビクッとしたものだ。そうか、相手が合わせてくれているからこそ、居心地よく感じちゃうのか。
もちろん、そんな関係性ばかりではない。一緒にいてお互いに居心地よく感じられる人も沢山いるはず。はず。
2010年くらいからかなあ。多様性という言葉が身近に聞こえ始めた。その頃の私の頭は今にもましてボンヤリしており、はあ?そんなん当たり前じゃない?くらいにしか受け止めていなかった。
最初は生物多様性についての言葉だったけれど、いつしか人間同士の関係にも使われだした。人種、ジェンダー、障がい、価値観から好みまで、多様性を認めようよ、という流れだ。それについても、はあ、当たり前だよね、という認識であった。何をいまさら。
けれども最近、「多様性を認める」というのは、そんなに簡単なことではなかったのかも知れない、と思い始めている。
分かり合えないことは、居心地が悪い。マイノリティは特にそれを日々感じている。その居心地の悪さをみんなで受け持つことが、結局は多様性を認めるってことだったのかもしれない。
あーわたし、楽してたかも。理解しているつもりでも、なんも受け持ってこなかったかも。やっぱり居心地の良さに乗っかっていたかも。
そんなことをふと思う、54才、沖縄の夏であった。
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